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ミンダナオ訪問

淺川 和也

2004年8月、於ミンダナオ(ダバオ、ピキット、コタバト市)
CRS, Catholic Relief Service, カトリック・リリーフ・サービス
<Myla leguro, Edden, Orson>
#2 North Street, MA-a DBP Villege

CRS:カトリック・リリーフ・サービス
 CRS のダバオ・オフイスを訪ねる。米国に本部があり、1945年に発足した団体である。マニラにフィリピン・オフィイスを持つ。現在、CRSは緊急救援のみな らず、地域開発などのプロジェクトも手がけている。1970年より、ミンダナオで平和活動をはじめた。
 平和や健康、農業、マイクロ・ファイナンスなどのプロジェクトに取り組み、コミュニティでの担い手となるフォーメーターを育成している。また、司祭とウ ルマとの、宗教間対話会議をかさねている。1997年につくられた平和の文化をすすめる教育活動のマニュアルがあるが、その後の経験を経て、バージョン アップを予定している。最近、コタバトにも事務所を置いた。
 平和教育と人権教育とのちがいは、平和教育が、より包括的であり、人権教育は、運動的とのことである。ほかに、平和構築を求める、積極的非暴力の流れも ある。ピープルズ・パワーによってマルコス独裁から、民主化を勝ち取った時には、アカプカという団体が、勢力的に動いていた。現在、バングラディシュでも 活動している。All Peace Network という団体もある。
 ミンダナオは、イスラム、キリスト教徒、先住民の三者によってなっている。フィリピン南部にある5州1市は 「ミンダナオ・イスラム自治区」(ARMM)構成している。イスラムの人びとが、モロと総称されている。ミンダナオ中部では、マギンダナオ族が主である。 ダバオでは、カラガンという部族が主である。ミンダナオには、18の民族と、多くの分派がある。イスラム社会の結束はつよく、クウェートやパキスタンへの 出稼ぎも多い。イススラムの人びとも、公立私立・学校に子どもをかよわせるが、マドラーサという独自の教育システムを持ち(休日にコーランやアラビア語を 学ぶ)。一部、イスラムによる私立の小学校・中学校ももつ地域がある。中東からの奨学金もあり、中東への留学の機会もある。
 フィリピンでは、スペインやカトリックの影響もあり、男性優位の風土があるが、女性が、活発に活動している。イスラムでも女性問題は、重要な課題であ り、イスラムの女性団体もある。United Muslim Youth Philippines という組織もある。
 シャーリアというイスラム法があり、近代国家における法との問題がでてくるが、イスラム法は、慣習法として認知されている。土地問題、民族自決権、水利 権も大きな問題である。
 CRSでは、トレーナー研修として、キャパシティ・ビルディングをおこなっている。参加者は、20から30人ほどで、農業指導、リソース・マネジメント 技術研修もすすめている。参加を促進する財源が必要、とのこと。また、1996年から、コンフリクト・トランスフォーメーションとして、紛争解決や調停の やり方を学ぶ、セミナーをおこなっている。成果を、記録し、文書化して共有をはかっている。OPAC、大統領府との連携もある。当初、地域の人びとによる 平和構築を、米国バージニア州の Eastern Mennonite University に学んだ。現在では、コタバト市のノートルダム大学に平和教育学のPhd コースがある。初等中等教育では、Value Education という科目があり、平和教育は、そちらに統合されることが多いのが、現状である。学校と地域、カトリック教区が一体となっている。あらゆる教育活動におい て、平和の実現を目指す実践をすることが大切である。
 フィリピンの歴史は、マニラからみた歴史であり、独自にミンダナオからの歴史を描くことも平和教育の大事な仕事である。平和の文化の構築には、多元的な 文化理解につらぬかれた歴史教育が必要なのである。歴史上の問題を直視し、相互のコミュニケーションやヒーリング、和解によって文化を再構築するのが、平 和の文化である。とくに、長年の紛争によるトラウマのヒーリングは重要である。Earth rights internationalという団体が、トラウマ・ヒーリングの活動をしている。
 近年でも、2000年や2003年には、内戦による、半年も、人びとが避難しなければならない、ことがあった。その際、子どもたちが学校にいけなくなっ たところに、教師を派遣するなどした。2003年でも2月から7月にかけて、50万人もの大量の避難民がでた。現在でも、停戦監視をしている。

ACEID
 トニーさんからお話をうかがった。
 CRSと連携をし、エキュメニカル、宗教間対話をすすめている。古くは1965年のカトリック教会の文書にある。コンフリクト・リゾリューション、人材 育成、構造的暴力の解消、持続可能な環境、地域開発などに取り組んでいる。コミュニティにおける、指導者育成にも携わっている。
 大学におけるカリキュラム開発は、NDU、ノートルダム大学でなされており、平和教育が学部では必修になっている。教会のセミナリオでも平和教育が、必 修になっている。聖職者でなくても、教会のリーダーが、平和教育を受けている。1999年から、11月末から12月初旬に、ミンダナオ平和週間を実施し、 充実してきた。
 文部省(DECS)では、パイロット校での実践をはじめた。平和教育は、批判的な思考や、姿勢をもつとのことから、ミンダナオでも反感をもたれる。なの で、Dialogue をすすめるという言い方をしたりする。地域で、共同を、基調とし、個人の利益のみならず、他者との利益をもとめるようにする。その際、個人の主体的変化が 大切である、とする。アラーを唯一神とするのが、イスラムの教えであるが、キリスト教との共通する価値観を、理解することが必要である。
 ACIDは、創価学会メンバーの訪問を受けた、とのこと。

PIKIT
Fr. Bippot
 地域での紛争解決が第一であり、Fr. Bippotはコミュニティにおける運動に奔走している。平和の文化の実現に、1997年から、この教区に赴任した。その間、4度にわたる戦争があり、そ のたびに、この地域の人口7万人のうち、半数が、避難する経験をした。
 実際の戦闘での死者よりも、避難生活での病気などでの死者が多い。このようなことは、メディアは関心を持たず、報道もされない。司祭館のファックスは、 通じたので、状況を発信していた。
 教会の裏にある体育館が、避難所となった。食べもの、水の供給をおこなった。当初、イスラム教徒の人びとは、そこに入りたがらなかったが、体育館である ことを説得した。100世帯避難していた。イスラムのなかにも協力者がおり、イスラムであろうと司祭館に寝泊まりして、支援活動を続けた。避難民の70 パーセントはイスラムであった。女性のプライバシーにたいして、仕切りやおおいをつくり、配慮もした。政府、行政、さまざまな組織、バランガイとの共同 で、避難民の支援を続けた。
 単に、政府とMILFの代表者が、話し合うピーストークや停戦がなされても、その実施を監視しなければならない。政府・イスラムの合同監視団が組織され ている。他方、地域の市民団体の監視組織もある。現在、40名のボランティアからなっている。
 トップレベルの交渉とともに、草の根の平和維持の活動を続ける必要がある。
 現実において、例えば、独裁者のような、敵がなくなれば、問題が解決するというような単純なものではない。軍が敵なのではなく、戦争そのものが敵だとい う考えで、マルキシズムの上部・下部構造にたいして、ピラミッドのなかにピラミッドがいくつもあるようなモデルを構想する。地域における問題をあらゆる人 びとと力を合せて解決していきたい、とのこと。研究者、メディア、ビジネスなどのサポートも必要で、理解者は、どこにでもいるもので、あらゆる人びとの力 を合わせる、マルチ・トラック(多重なすすめ方)が求められるのである。
 戦争は、物理的被害ばかりでなく、心や感情面での傷をのこす。そのためのケアもしている。貧困が戦争の原因となっているのは、事実で、政治経済的課題へ のアプローチも大切だが、目に見えない、文化的要素にたいしても、アドボカシー(提言)をはかる必要がある。
 現在、2000年の紛争後、Nalapan は、ピース・スペースという理念を実現した。軍やゲリラのいずれも武力行使はしない、というのが、ピース・スペースとなった。その結果、2003年の紛争 時には、戦火もなく、避難もする必要がなかった。周辺の7つの地区が、現在、ピース・スペースとなるべく準備をしている。もっとも、社会的・心理的介入と 受け取られやすいので、住民とのていねいなプロセスが必要であり、また、政府軍、武装集団とのねばりづよい交渉があった。監視行動もしている。軍やパラミ リタリー(武装集団)による犯罪や、組織的な、誘拐のような犯罪もある。市民の監視によって、犯罪を通報し、関係者が謝罪をしたケースもある。
 これらの担い手として、Peace Weavers のセミナーをCRSでは、実施している。JICAは、潅漑事業に援助するとともに、7つの地区にピースセンター、デイケアセンターの建設の援助をしてい る。

地区訪問
 Bapa Butch(イスラム)さんが、こまめに、地域の人びととの顔をつないでいる。バランガイ・キャプテン宅に案内されて、紹介をうけた。雨期は米で、乾期は トウモロコシをつくっている。
 1人目のバランガイ・キャプテンに、ピース・スペースであるNalapanに招かれた。330世帯、1500人あまりの集落である。イスラム地域であ り、子どもたちはマドラーサにもかよっている。バランガイ・キャプテンの案内で、集会所を訪ねた。ちょうど、BALAYによる親子教育セミナーがひらかれ ていた。センターを活用し、ノンフォーマルな成人教育や、生活改善活動をしている。また、週1回の識字教室もひらかれている。
 2人目のバランガイ・キャプテンの家は、銃弾の跡が、のこっていた。そこで、小学校の教師にも会った。小学校の生徒は350人、教師は7名。戦災時、バ ラバラになった生徒たちを、教師は、巡回して歩いたという。
 RIC,Rulal Improvement Club といって、野菜や鳥を飼う、プロジェクトサイトもとおった。その家は、2000年に焼け出され、かつては、途方にくれていた、おばあさんが、菜園を管理し ている。ニガウリもつくっていた。
 3人目のバランガイ・キャプテンは、まだ若く、マレーシアに漁業で出稼ぎにいっていたのだが、帰郷して、ピース・スペースの実現に尽力しているとのこ と。
 Palish では、10人ほどの参加者によるトレーニングがおこなわれていた。3日間のプログラムの初日であった。さまざまな項目を共有するために、ワークショップで のカードが、はられていた。なぜ、このトレーニングを受けるか、自分にとってのキリスト教の信仰とは、「他者を助ける、隣人愛、困難に立ち向かうこと」な ど、共有されたさまを語ってくれた。
 ミンダナオの紛争の歴史は、長く、深刻であるが、ピース・スペースの経験から、学ぶことが多いという。地域における、紛争が破壊した人間関係の再構築で ある。政治家のピーストークばかりでなく、キリスト教徒とイスラムの平和の理念は、類似のものであると理解しあう、草の根のもう一つの補完的なダイアログ をすすめている。
 問題は、キリスト教徒間のなかにもあるようだ。キリスト者ら自身にとってもチャレンジとなっている。
 部外者が来て調停するのではなく、個々のケースの当事者である自分たちで解決をはかるのが、地域での力量をたかめることになる。キリスト教徒とイスラム の対立の例として、不倫相手への復しゅうに、相手を殺した事件があげられた。結局、未亡人は、家を失い、生活できない状態になっていた。関係者が集まり、 解決策を講じたことがある。犯人を罰するのではなく、当事者は、相互に謝罪し、未亡人が生活できるように、地域の人びとが、献金をすることになった。警察 官までも、寄付したのだった。
 法による正義は、近代的な概念であるが、関係を再構築するための正義という概念が必要だ。先の事例は、裁判事例として、判例になっている。
 復しゅうのために、武装グループに入った子ども多い。復しゅうは、解決ではないということを理解していくのである。平和構築トレーニングを、軍関係者 (司令官)や武装グループにたいしてもおこない、武器を手放すことにもつながっている。
 もっとも、解決は、単純ではない。現在でも、単純な、いさかいから、全面戦争になる危険がある。

CRS・コタバト市事務所
<Emi>
 ノートルダム修道会が、5年前から、運営をはじめた、幼児教育センターを3カ所訪ねた。いずれも教師は、キリスト教・イスラムの2名で、担当している。 カンポ・ムスリムという、かつての避難民がそのまま定住した、イスラム地域のところのものには、シスターは、いないようであった。いずれも2教室あり、年 少は20名以下、年長は30名ほどで、午前が、年少、午後が年長クラスというように、二部制になっていた。イスラムもキリスト教の子も、わけへだてなく、 学んでいる。
 教師の待遇は、けっしてよくなく、よい教師を確保するのが、大変である。共働きでなければ、やっていけない状況。さまざまな困難をかかえる子どもも多 く、そのケアをする教師の負担も大きい。シスターによるスーパーバイズに支えられるところもおおきい。
 学費は、経済状況にあわせて、納入するようになっている。子どもたちは、送り迎えが必要で、センターに来ることができない子もたくさんいる。土曜日は、 そのような地域に出かけていくアウトリーチ・プログラムもしている。
 クラスの始めと終わりのお祈りは、両方の仕方でしている。暴力的なふるまいや、言葉に気をつける。ケンカした時には、子ども同士が、ピーステーブルで、 話しあうようにしている。
 教師が集まって、カリキュラムをつくっている。細かな、レッスンプランができていて、最初に子どもたちから、家でのできごとを聞く、サークルタイムから はじまって、そこでの話題を次につなげていく。この日も、水不足のニュースから、庭に出て、木をさわって、水と木の関係について、学ぶということをしてい た。名前の綴りを聞く時に、文字数を数えると、綴りと数の学習になる、ように工夫している。また、キリスト教のロザリオと、イスラムのパスビを、実際に持 ち込むなど、統合的、かつ異文化理解にとりくんでいる。
 親を、Parent as Peace Advocates と位置づけて、親が、菜園をセンターの庭につくるなど、積極的な関与を果たしている。夫婦ケンカをすると、子どもたちが「家にも、ピーステーブルが必要」 と言うになるなど、センターで学んだことを、子どもたちが、親に伝えるような変化もみえる。
 開発プログラムの会議では、このような小さな試みは、評価されないようだ。教育の結果は、すぐには、あらわれないが、種をまくことであり、健康で、健全 な子どもが、よい子、であり、読み書きを教えこむ教育ではなく、健全なこころの教育をしていきたい、とのこと。

Kasigalahan Foundation
 幸福という意味。ストリートキッズのシェルターにもなっていて、2階に12名が共同生活をしている。学校などの食堂に、ミネラルウォーターや飲み物を卸 し売りをする商売もしている。ココナッツの皮や、使用済みのフィルムを切り、貼りつけて、クリスマスカードをつくっている。このような作業は、子どもたち のトラウマの回復に役立っている。
 ユースプログラムとして、いくつかの高校から参加者を得て、イスラムやキリスト教理解を促進するユースキャンプをおこなっている。リーダーシップや問題 解決力、コミュニケーション能力のトレーニングの場になっている。そのような活動に参加するのに、親に反対された経験のある生徒もおり、親向けのセミナー などもひらくうちに、解消したという。課外活動の域を出ないが、キャンプの成果を、学校祭などで、発表している。水曜日は、平和の日とすることも、学校 に、提案して、実現した。
 生徒らが、ラマダンやクリスマスのプレゼントを届ける作業もする。衣料や、文具、医薬品を詰めた、袋をつくり、家庭に届けるのである。そのキャンプをす すめている高校生、OB、教師と交流をした。

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