学校訪問
浅岡・臼井

概要

 フィリピンの教育事情については、すでにに多く書かれているとは思うが、簡単にまとめると、小学校が6年間、中学校と高校がいっしょになったハイスクールが4年間、大学が4年間である。つまり大学を卒業すると、日本で短大を卒業するような感覚である。新学年度は6月から始まる(2学期制で、1学期目が6月~10月で、2~3週間の休みのあと、2学期目が11月~3月となっている。夏休みは3月~6月)。

 特に小学校やハイスクールでは教室不足、教員不足のために学年ごとに朝と午後の授業にわかれているところが多い。コトバト市のハイスクールを例にとると、1年・3年が午前(6:00~12:00)、2年・4年が午後(12:30~18:30)という時間割だそうだ。また教員の大多数が女性であった。学生は小学校から大学まで、教員は小学校およびハイスクールで全員制服を着用していた。

 今回は保育園1つ、小学校2つ、高校1つ,大学3つを訪問した。それぞれ特色があった。

8月6日

大学(Notre Dame of Dadiangas College)

 ず最初に訪れたのは6日のNotre Dame of Dadiangas College である。この大学はマリスト会の宣教師らによって建てられた私立大学で学内には小規模ながら創立者に関するコーナーもあった。Peace Education Center所属の教員(Ed & Paul)の2名が対応してくださった。彼らによると、この大学は4つのキャンパスに分かれ、Arts & Sciences, Education, Commerce, Accounting,  Nursing及びEngineeringの6学部から構成されている。NursingとEngineeringは5年制である。また系列の小学校と付属の高校2校がある。しかし、高校は進学校であるため、同大学よりもマニラの有名大学への進学する割合が高いということであった。

 学生数は約4400名、教員・職員数300名。またそのうちムスリムの学生数は約200名。授業使用言語は基本的には英語であるが、vernacular languagesも状況に応じて混ぜながら授業をしているのが現実である。フィリピンでの大学進学率について詳しい数字は教えていただけなかったが、50%よりずっと低いパーセンテ-ジである。それゆえ学生を確保するためか、昨年度より学生の受け入れをopen admission systemにシフトしたそうである。つまり、応募者をすべて受け入れ、その代わりに英語によるプレースメントテストを入学時に受けさせている。プレースメントテストはいわゆるSATのようなテスト(科目:英語、数学、abstract reasoning, 地理、歴史)を使用している。また上記の学部の内、Education, Nursing, Accounting, Engineeringは難易度が高く、比較的できない学生はArts & Sciences あるいはCommerce学部で勉強する事が多いとのことであった。さらに、slow learners のための英語や数学のレメディアル授業も開講されている。セメスター制であるため、教員は1週間に7科目(1科目につき週3時間)で計21時間の授業時間数を担当する。今回対応してくださったEd先生とPaul先生は18年目のベテランのため、1週間に6科目、計18時間でよいそうである。それにしても日本の大学教員よりはずっと教鞭時間が多い。

 こちらの大学では97年より平和教育研究所をおいている。平和を宗教教育の基礎にしており,Conflict ResolutionのためにValue教育を実践するという。方法も学生の参加を主体にするものであり,ミンダナオで相次ぐ爆発事件やコミュニティ-におけるマイノリティについて考えたり、売春やポルノグラフィーに反対するデモを行ったりすることもある。これらの活動に参加するには学生は授業を欠席することもあるため、まずはfacultyの理解を得る努力が必要であったそうである。

 学費は1単位400ペソ(1科目1200ペソ程度)だという。卒業必要単位は約190単位だそうだ。Dole Plantationの労働者としての賃金が最低で1日160ペソ、最高で275ペソであることを考えると相当金銭的に余裕がないと大学に進学できないことになる。10%程度の学生が各種奨学金を得て、通学しているという。

8月8日 

保育園(Moro Women's 保育所)

次に8日には避難民コミュニティ-内にある保育園を尋ねた。ここのコミュニティ-はサンギル語を話す人が主だそうである。午前中には3~4歳児の授業が行われ約15名ほどの幼児が集まっていた。初めはアルファベットのCの字を書く練習を各自が行っていたが、私達がきたため、タガログ語や英語で歌を歌ってくれた。教員は女性でコミュニティ-内に居住しているそうである。

 

小学校(UCCP-PCSL)

 同日2校めとしてUCCP(United Church of Christian in the Philippines)系列の私立PCSL小学校を訪れたが、民族舞踏歓迎会を用意して待っていてくれた。民族衣装を着た生徒の出迎えを受け,その歓迎ぶりには驚いた。ステージにおける学年ごとのダンスの披露があり、全生徒/教員参加による学校行事ともいえる取り組みである。しかも私達が来ることを知らされたのが前日ということでこういった行事に日ごろから積極的に取り組んでいることがうかがわれた。ダンスはスペイン植民地時代の影響を受けたものやバンブーダンス、植民地時代の苦難と解放の喜びを表したものもあれば、マイケルくんの熱演によるポップス風のものもあった。教員は校長先生も含め全員若手の女性で黄緑の美しい制服を着用していた。校舎の一部は日本人の牧野氏の寄付金によるものだそうである。

 

ハイスクール(Lagao National High School)

 次に3校目としてLagao National High School を訪れ、grade 1(中学校1年生)の数学と英語の授業を短時間ではあったが観察させていただいた。英語はもちろん数学の授業も英語で行われ、英語では辞書を使用する際のストラテジーとして単語の配列について(非常に難しい単語を例として使用していたが、後ほど書店で英語の教科書を見ると教科書にもかなり難しい語彙が並んでいた)を学習していた。どちらの授業も生徒の挙手が多く、教室環境はあまりよくないとはいえ、生徒の学習意欲の高さが伺われた。英語の教員は今回のツアーでお目にかかった唯一の男性教員であった。1クラス 70 人程度という大規模な高校であるが、授業に全員が出ているわけではないようだった。見学したクラスのいずれでも10名ほどずつ欠席していた。

 校長先生は校庭に様々な果実の木を植え、お腹がすいたらいつでももいで食べられるようにするなどアイディア溢れるエネルギッシュな方だった。

ここでも教員の大半は女性であるようだった。校長先生を含め女性教員は鮮やかなピンクの制服を着ていた。

 

小学校(Oringo Elementary School)

 同日4校目としてホームステイ先の近所にある公立Oringo小学校を訪れた(ビビンさんの養女が通学している)。この学校では、午前・午後通したカリキュラムになっていた。又、当該学年の授業についていけない児童のためのRemedial授業も設けられていた。

 こちらの小学校では水曜日を見学の日としており、訪れたのが木曜日だったため初めは見学できないということであったが、ご好意により急遽6年生の英語の授業を見せていただいた。この小学校では学年を3つの学力レベルに分けていて今回見学したのは一番下のレベルのクラスであった(新学期開始後間もないためまだレベルを最終決定はしていなかったが)。やはり1クラス60名程度の生徒数である。担当の先生は1ヶ月前に既にやったという民話を使った英語のリーディングの授業を行い、初めはすべて英語で授業をやるとわからない生徒もいるのでタガログ語もいれながらとおっしゃっていたが、結局全部英語で授業を行った。高校での授業に比べると挙手が少なく、教員のいう通りわからない生徒もいるようであった。また使用していた読本は使い古されたコピーで、やはり教科書等の授業環境の整備が整っていないことは否めない。

 この小学校でも、1名をのぞき全員が校長先生を含め全員女性であり、ピンクの制服を着ていた。

 最後に、校長先生と懇談した。彼女は以前この小学校の教員であったが、他校へ移動し、今回新たに校長として戻ってきたらしい。戻ってきて初めにやったことが自分のオフィスの整備だということだ。エアコンをいれ、コンピューターを置いたという。暗い明かりのもと使い古された教科書を使用している生徒達とのちょっぴり皮肉なコントラストとなった。

 

8月9日

大学(Brokenshire College, School of Nursing

 9日にはBrokenshire College, School of Nursingを訪問した。副学長と懇談した。ここには、ビビンさんの次女が通学している。1974年にダバオに設立された大学の姉妹校として昨年度開校された。まだ開校2年目ということで校舎もキャンパスも未整備で、校舎はゆくゆくは5階建てになるそうだが私達が訪問したときにはまだ2階までしかなかった。

 昨年度は575人の学生(4クラス)、今年度は全部で616人の学生(7クラス)が在籍している。入試は英語で行われ、今年度700名近い応募者の中で合格者は200名程度という狭き門である。女子学生と男子学生の割合は2対1、ムスリムは約1割、indigenous people(IP)は8%を占める。教員は常勤17名、非常勤10名の計27名、授業は英語で行われるが、科目によってタガログ語で行われるものもある。

 看護学部を卒業し、看護士となってイギリス、アメリカ、中近東やインドネシアに就職する若者が増えているため、語学の授業として英語、バハサ・インドネシア語、及びアラビア語を開講しているそうである。日本でも最近フィリピンから看護士や介護士を雇用する話があるが、それらは日系人会に属しているフィリピン人にしか門戸が開かれていないそうである。また今後の展望としてコールセンターやオンラインを使用した医療サービスに対応できる人材を育てていきたいそうだ。

 ここ数年、海外での看護士需要に合わせ、国内で看護学部(School of Nursing)が次々と開校されていたが、昨年を最後に政府が打ち止めをしたということだ。

 

 大学(ミンダナオ国立大学)

 空港近くにあるミンダナオ国立大学も訪れた。しかし、訪問時間が遅かったため約束していた教員に会うことはできなかった。その代わり、学生2名の協力と、キャンパス内に住む文化人類学教授であるProf. Geeのご好意でキャンパスの中心にあるタワーに登ってキャンパス全体を見渡すことができた。ミンダナオ国立大学は非常に広いキャンパスを所有し、学内移動用バスもあれば学生用寮や教員用住宅が点在し、アメリカの大学のキャンパスのようであった。

 

8月11日

イスラム・クリスチャン青年交流

 学校訪問ではなかったが、11日にコタバト市においてイスラム・クリスチャン青年グループを訪問し、高校生の生の声を聞く機会があった。教育学部の教員と高校の教員及びムスリムの高校生とクリスチャンの高校生およびOB学生が約15名ほど集まってくれた。

 ここでは公立高校のクリスチャンの学生とムスリム学生との交流を図るプログラム(コトバト市内3つの公立高校の学生とNotre Dame大学の学生が参加)という取り組みをKasigrahanと共同ですすめていている。このプログラムはもともとHIVに関して若者への教育を行うことを発端とし、Leadership, Dialogue, Intercultural Program, Understanding Mindanao, Program for Teachers等を展開している。現在は公立高校と私立高校のバリア、宗教の違いによるバリアを取り除くために様々な活動を行っている。プログラムが始まってから学校間の対立がなくなったそうだ。今後は小学校も含め、参加校をもっと増やし、OBの参加を盛んにしていきたいそうである。同時に、今までの活動を評価し、生徒だけではなく親達やコミュニティにももっと関心をもってもらえるようにしたいそうである。PTAではなくPTCA(Parents, Teachers and Community Association)という語を使っていたのが印象的だった。

 生徒たちはお互いに非常に打ち解けていて,また英語で意見を発表する力が優れている生徒が多かった。「将来何になりたいか」について聞いたところ12名中9名が看護士になって海外へ、1名が医者あるいは看護士となって海外へ、1名が大使となって海外へ、そして1名のみが医者となって国に貢献したいという答えが返ってきた。生徒の多くがそうすることによって今まで育ててくれた家族を財政的に助けることになると思っているようである。しかし、仮になんにでもなれるとしたらという問いには「俳優」や「作家」といったような無邪気な答えが返ってきた。